台湾で店舗を開くとき、文化や習慣の中に溶け込んで、よく見えないけれども、とても重要な、日台の間にしっかりと立ちはだかる壁が「風水」です。
日本では縁起や方角を軽く意識する程度ですが、台湾では風水が設計そのものを動かす文化的ルールとして存在しています。
入口の向き、カウンターの位置、照明の明るさ ── それらはすべて「気の流れ」を整え、商売繁盛を呼び込むための要素。
このブログでは、日本のデザイン思考と台湾の風水哲学を対比しながら、日本企業が台湾の内装設計・施工会社と信頼関係を築くための実践的ヒントを紹介します。
風水を「制約」ではなく「共創のためのデザイン言語」として活かす視点を身につけましょう。
第1章 台湾の「風水」は店舗設計の出発点である
台湾で店舗を設計する際、最初の打ち合わせで必ず話題に上がるのが「風水(フェンシュイ)」です。
それは単なる迷信や伝統ではなく、台湾社会においては「安心して商売を始めるための前提条件」として深く根付いた文化です。
日本でも方位や縁起を重んじる慣習はありますが、台湾における風水は、経営判断や設計レイアウトの最優先事項として扱われる点が決定的に異なります。
ときには、設計図が完成していても、風水師(老師)の一言でレイアウトが一から見直されることもあります。
台湾での店舗出店を成功させるためには、この「風水」という文化を理解し、日本的な合理性や美学とどう折り合いをつけるかが極めて重要なのです。
1. 台湾の店舗出店で「風水師」が登場する理由
台湾で新しく店舗を開く際、まずオーナーが行うのは「風水師(老師)」への相談です。
どの場所に出店するか、店舗の向きはどちらを向けるか、入口はどの方角が良いか ── これらのことを風水師のアドバイスに基づいて決めるのはよくあることです。
風水師は建築士やデザイナーと同じレベルで尊敬され、特に商業施設や飲食店では“店の命運を握る存在”のような存在です。
風水の目的は、単に運気を上げるというよりも、「悪い気を避け、良い気を取り込む」ことにあります。
台湾のオーナーにとっては、風水=安心の設計基準なのです。
この文化を軽視して設計を進めると、「縁起が悪いからこのプランは採用できない」と拒否されることも珍しくありません。
つまり、風水師の意見を踏まえた上で設計提案をすることが、台湾市場で信頼されるデザイナー・施工者の必須条件となります。
2. 歴史に見る台湾の風水信仰と都市空間の形成
台湾の風水文化は、中国本土から渡ってきた移民たちによって根付いたものです。
17世紀以降、福建省や広東省から移住した人々が、家や店を建てる際に必ず風水を見たことから、「良い土地を選ぶ=繁栄を得る」という思想が社会全体に広まりました。
今でも台北や台中の古い街並みを歩くと、風水の思想が都市空間の形そのものに影響していることがわかります。
たとえば、台北市内の通りの多くは「南向きの建物」が好まれます。
これは日当たりだけでなく、「南は陽の気を受ける方角」とされる風水の考え方に基づいています。
また、高層ビルの設計にも風水の概念が反映されており、代表的な例が台北101ビルです。
その形状は竹をモチーフにしており、「節目を重ねて成長する=繁栄の象徴」という風水的意味を持っています。
このように、台湾では風水が都市計画レベルでも生き続けているのです。
3. 風水が「内装設計」にまで影響するメカニズム
風水というと「土地や方位」の話と思われがちですが、実際には内装設計の細部にまで影響します。
入口の位置や向き、レジカウンターの場所、厨房やトイレの位置関係、さらには照明の配置まで。
それぞれに「気の流れ」「財位」「陰陽のバランス」といった風水的理論が存在します。
たとえば、レジカウンターを店舗の左奥に設けるのは「財が流れ込む位置」とされるためです。
また、入口の正面にトイレが見えるレイアウトは「金運を流す」と嫌われます。
こうした理由から、台湾の内装工事現場では風水のためのレイアウト修正が頻繁に発生します。
日本のように「設計図通りに正確に作る」ことよりも、台湾では「良い気が流れるように配置を柔軟に変える」ことが優先されるのです。
つまり、風水は台湾の現場文化を支える“暗黙の設計ルール”といえるでしょう。
4. 風水は経営判断にも影響する──オーナー心理の理解
台湾の店舗オーナーの多くは、風水を信じることで精神的な安定を得ています。
風水は単なる宗教ではなく、「ビジネスのリスクマネジメント」にも通じる考え方なのです。
オープン日を吉日に合わせる、神明桌(しんめいづくえ)を配置する、入口に金魚鉢を置く ── これらはすべて「商売繁盛を祈る具体的行動」であり、経営者にとっては“目に見えないお守り”のような存在です。
特に台湾の中小企業オーナーは、風水を無視する=運を失うという強い不安を抱きます。
そのため、設計者が風水を軽視したり、合理性を盾に否定したりすると、オーナーとの信頼関係が一気に崩れてしまいます。
むしろ、風水を「経営者の意思決定プロセスの一部」として尊重し、「先生のご意見を踏まえて、空間としても美しく仕上げましょう」と提案できるデザイナーこそが、台湾で長く信頼されるのです。
5. 日本の「縁起」と台湾の「風水」の決定的な違い
日本にも「縁起を担ぐ」文化はあります。
たとえば開店の日取りを大安に合わせたり、七福神を飾ったり、鬼門にトイレを作らなかったり。
しかし日本のそれはあくまで象徴的・形式的なものであり、実際の設計レイアウトや工事工程を左右するほどの力は持ちません。
一方で台湾の風水は、生活とビジネスの意思決定を同時に動かす実践哲学です。
図面の線一本、壁の厚み数センチの違いでさえ、風水師が修正を求めることがあります。
その背景には、「環境が人の運命を変える」という考え方が根付いており、建築やデザインもまた人の人生を形づくる重要な要素だと認識されているのです。
日本のデザイナーがこの違いを理解し、風水を設計の一要素として尊重できるかどうかが、台湾でのプロジェクト成功を左右します。
つまり、台湾で設計・施工に携わる者にとって風水は避けて通れないテーマであり、“理解の深さが信頼の深さに直結する”文化的基盤なのです。
第2章 風水が左右する“空間の配置”──入口・カウンター・厨房の黄金バランス
台湾の店舗設計において、最も慎重に議論されるのが「入口」「カウンター」「厨房」の位置関係です。
これらは単なる動線設計ではなく、風水的に“気の流れ”と“財の流れ”を整えるための要素とみなされています。
台湾のオーナーが最初に風水師に尋ねるのは、「この店にお金が入ってくる道筋は正しいか?」という問いです。
つまり、空間構成そのものが「金運」と直結しているのです。
1. 入口の方角が“売上”を決める?台湾で重視される「気の流れ」
風水では「入口は気の入り口」であり、ここから良い気が流れ込むかどうかが商売の成否を左右すると考えられています。
台湾では、入口の方角を誤ると「財運が逃げる」とされ、風水師が最も時間をかけて方位を測定します。
特に好まれるのは、東南向きの入口(巽の方角)。
これは風の通りがよく、陽の気を呼び込むとされるため、飲食店や美容サロンなどではこの向きが理想とされています。
逆に、西向きの入口は「夕陽=衰退の象徴」として嫌われることがあります。
一方で、日本の設計者は、日照や人通り、通風などの機能的理由から入口を決めることが多く、方位の持つ意味を重視することは少ないでしょう。
しかし台湾では、どんなに美しいデザインであっても、風水的にNGな方角であれば設計の出発点そのものを変更することもあります。
そのため、現地での設計ミーティングでは、まず「入口の向きは決まっていますか?」という一言から始めるのが基本です。
この一言があるだけで、オーナーからの信頼度が大きく変わります。
2. カウンター配置の妙──「財位」と呼ばれる特別な位置とは
台湾の風水では、「財位(ツァイウェイ)」という特別な位置が存在します。
これは“お金を集める位置”であり、店舗で言えばレジカウンターや会計カウンターを置く場所のことを指します。
財位は店舗の形や入口の位置によって異なりますが、基本的には入口の対角線上の奥が吉とされています。
そこに「財の気」がたまり、安定的に商売繁盛へつながるというのが伝統的な考え方です。
たとえば、ある台北市内のカフェでは、設計当初は入口正面にカウンターを設けていましたが、風水師の助言により、カウンターを左奥に移動しました。
その結果、レジ横に小さな観葉植物と金魚鉢を置き、「財を呼び込む象徴」として演出。
オーナーによると「移転後から売上が安定した」とのことです。
このように、台湾の店舗ではカウンターの位置が単なる機能配置ではなく、経営の象徴的中心として位置づけられています。
日本の設計者にとっては、効率的な動線や視認性を優先する習慣がありますが、台湾ではそれに加えて、「財が集まる空気感」をどうデザインに落とし込むかが問われます。
つまり、風水的ロジックとデザイン美学の両立が求められるのです。
3. 厨房とトイレの位置関係がNGになる理由
台湾の飲食店舗設計でしばしば指摘されるのが、「厨房とトイレの位置関係」です。
風水では、「火」と「水」は相剋(しょうこく)の関係にあり、火の象徴である厨房と、水の象徴であるトイレが近接すると気が乱れるとされます。
特に、厨房のコンロの真裏にトイレが来る配置は「火水相衝」と呼ばれ、金運を損ねる最悪の組み合わせとされます。
日本では給排水計画や配管経路から合理的にレイアウトを考えますが、台湾ではまず「相性の悪い配置を避ける」ことが優先されます。
そのため、設計者が図面を提示するときには、「ここは厨房の裏にトイレがきますが、壁でしっかり遮ります」といった説明を添えることで、オーナーの不安を軽減できます。
また、風水的に不吉とされる配置を避けられない場合、中和のための工夫を施すこともあります。
たとえば、厨房とトイレの間に植物を置く、鏡を設けて気を跳ね返す、もしくは壁の色を「土」の要素を持つベージュ系に変えてバランスを取る、などです。
このような対応力こそ、台湾で信頼される設計者に求められる資質といえます。
4. 日本式動線計画と風水的配置、どちらを優先すべきか
実際の現場では、「動線の合理性」と「風水的配置」が衝突することが少なくありません。
たとえば、入口からカウンターまで一直線に見通せるデザインは、日本では開放感を生む設計として好まれますが、風水では「気が真っすぐ抜けて財が流れる」として敬遠されます。
では、どちらを優先すべきでしょうか。
答えは、「どちらも正しい」と理解した上で、調整と提案の工夫を加えることです。
具体的には、カウンター手前に半透明のパーティションや植物を配置し、気の流れをやわらげつつ視覚的な奥行きを演出する方法があります。
あるいは、床のパターンや照明のリズムで動線を緩やかに曲げる設計も有効です。
重要なのは、「風水的に配慮しています」とオーナーに伝える姿勢です。
デザイン意図を説明するだけでなく、「気の流れを穏やかにしています」という一言を添えるだけで、台湾の顧客はあなたの提案を文化的に“理解ある設計”と受け取ります。
この共感力こそ、日台協働の成功の鍵です。
5. 設計変更を求められたときの“上手な交渉術”
台湾では、設計が進んだ段階で突然「老師(風水師)からの指示があり、レイアウトを変えたい」と言われることがあります。
日本の感覚では、「今さら変更?」と思う場面ですが、台湾ではよくあることです。
このときに焦って反論したり、「それでは工程が遅れます」と突っぱねたりすると、信頼関係が一気に冷えます。
上手な対応法は、「なるほど、先生の意見を反映させながら、機能的にも支障がないよう工夫します」と受け止めること。
そして、変更を受け入れた上で、コストとスケジュールの再調整案をすぐに提示することです。
このスピード感と柔軟さが、台湾での設計・施工業務において最も評価されるポイントです。
また、図面変更の際には、風水師の助言内容を尊重しつつ、「美観」「施工性」「安全性」の観点から提案を加えると、オーナーは「日本人らしい丁寧さ」として信頼を寄せてくれます。
風水は交渉の障害ではなく、対話を深めるための文化的チャンネルと捉えることが大切です。
第3章 素材・色・照明に宿る風水の考え方
台湾の風水は、方角や配置だけでなく、「素材」「色」「光」といった空間の質感そのものにまで深く関わっています。
それは、空間を構成する一つひとつの要素が「気(エネルギー)」を持つという考え方に基づいているからです。
たとえば、床の色ひとつ、照明の明るさひとつが、そこに流れる「気」の性質を変える。
台湾の設計現場では、この考え方を無視して内装を決めることはほとんどありません。
一方で、日本のデザイン文化は「機能性」や「統一感」「美的調和」を重視します。
この違いを理解し、風水的価値観をデザインにどう調和させるか ── それが、台湾で成功する店舗設計の大きな鍵となります。
1. 台湾の内装工事現場でよく聞く「金運が逃げる配色」
台湾の現場でしばしば耳にするのが、「この色は金運を逃す」「この組み合わせは不安定になる」というフレーズです。
風水では、色彩は単なる装飾ではなく、運気を左右する“気”の象徴と考えられています。
たとえば、赤と黒の組み合わせは「火と水の衝突」を意味し、衝突や不和を招く配色とされます。
反対に、金色や黄土色は「土と金」の要素を持ち、安定と豊かさを象徴します。
そのため、レジ周りやカウンターには金色の縁取りや、ベージュ系の照明を組み合わせる店舗が多く見られます。
実際、台北の高級レストランや宝飾店では、金やベージュ、深緑といった「財を呼ぶ色」が多用されており、
風水的にもデザイン的にも高級感を演出しています。
一方で、日本人デザイナーが好むモノトーン配色(黒・白・グレー)は、台湾では「冷たく、気が停滞する」と感じられることもあります。
このように、色が文化的心理に直結しているのが台湾の特徴です。
2. 木・火・土・金・水──五行思想が導く素材の選び方
台湾の風水では、「五行思想(ごぎょうしそう)」が基本的な理論の柱となっています。
木・火・土・金・水という五つの要素が互いに影響し合い、調和が取れていることが理想とされます。
この五行は、内装における素材選びにも密接に関わっています。
- 木(もく):成長・安定を象徴。木目調の家具や観葉植物などが該当。
- 火(か):活気・情熱を象徴。照明や赤・オレンジなどの暖色系が対応。
- 土(ど):安定・信頼の象徴。石材、タイル、土壁、ベージュ系カラー。
- 金(ごん):富・繁栄を象徴。金属、鏡、ガラスなどの反射素材。
- 水(すい):流れ・浄化を象徴。噴水、水槽、ブルー系カラー。
台湾の内装設計では、これら五行のバランスを空間にどう分配するかが非常に重要です。
たとえば、オフィスで「木」と「土」が多すぎると動きが鈍くなるため、適度に「水」や「金」を加えて空気の流れをつくる、といった調整を行います。
日本では素材を「質感」や「施工性」で選びますが、台湾では素材が持つ“気の性格”を考慮して決めるという点で根本的に異なります。
3. 照明デザインと風水の関係:「光」は“気”を操る要素
台湾では照明計画もまた、風水と深く関係しています。
風水では、光は「陽の気」を生み出すものであり、照度の強弱や色温度によって空間の運気が変化すると考えられています。
たとえば、店舗の入口には「明るい光」を当てて良い気を招き入れることが推奨されます。
逆に、トイレや倉庫などの陰の場所には、柔らかい光で落ち着きを保ちます。
また、風水では「天井の中央に強い照明を当てない」ことも重要です。
これは“気が散る”とされ、特に飲食店では中央にシャンデリアを設けるよりも、周囲に光を分散させる間接照明のほうが好まれる傾向にあります。
さらに、照明の色温度も重要な要素です。
白色光は「冷静」「清潔」を象徴する一方で、過度に白いと「孤立」を意味するため、飲食店では温かみのある電球色(約2700〜3000K)が“人を呼ぶ光”として好まれます。
台湾の風水的視点から見ても、「光は財を照らすもの」として、照明計画には細やかな配慮が求められるのです。
4. 店舗ロゴ・サイン計画にも影響する色の縁起
風水の影響は、内装だけでなく、店舗ロゴや看板デザインにも及びます。
台湾では、企業ロゴやサインの色選びに風水師が関与するケースが珍しくありません。
特に飲食店や小売店では、ロゴの配色が「商売運」を左右すると信じられています。
たとえば、赤は「繁栄と情熱」、黄は「安定と信頼」、緑は「成長」、青は「清潔」、黒は「権威」を象徴します。
ただし、色の組み合わせには相剋関係もあり、たとえば青と赤の対立配置は避けられる傾向があります。
また、ロゴの形にも意味があります。
円形は「和合」を、四角形は「安定」を、三角形は「挑戦」を意味するとされ、風水的には、店舗業態に合わせた形状選択が推奨されます。
実際、台湾の大手チェーン企業は、ブランド再構築の際に「風水師監修」のデザインを取り入れることがあり、それが消費者の安心感につながるという点で、マーケティング的にも効果があります。
日本企業が台湾に進出する際も、ロゴや看板に風水的意味を込めることは、現地市場で好印象を得るひとつの方法です。
5. 日本のミニマルデザインと台湾風水の折衷点を探る
ここまで見てきたように、台湾の風水は「色」「素材」「光」に至るまで空間すべてを支配しています。
一方で、日本のミニマルデザインは、色数を抑え、素材を統一し、光を均一化することを美徳とします。
この両者をどう調和させるかは、日台協働の設計者にとっての最大のテーマです。
成功の鍵は、「風水を妥協ではなく“翻訳”として扱うこと」。
たとえば、金運を象徴する「金色」を使う代わりに、真鍮やブロンズの質感で上品に表現する。
また、植物の設置位置を風水的に配慮しながら、空間のリズムを整えることで、「文化を尊重しつつ美しく仕上げる」という折衷案が可能になります。
台湾の顧客は、デザインに対して非常に柔軟であり、「老師の意見を尊重しながら、日本的な美しさを加えてくれた」と感じると、深い信頼関係を築くことができます。
つまり、風水を“敵”ではなく“共演者”として扱う姿勢が、日台のデザイン協業を成功に導く本質的なアプローチなのです。
第4章 現場で起きる“風水トラブル”──日本人設計者が戸惑う瞬間
台湾で店舗を設計・施工する日本人が最も驚くのは、「風水による設計変更」が突然発生することです。
図面が完成し、工事も順調に進んでいたのに、「老師(風水師)が見てダメだと言っている」という一言で、一晩にして設計が白紙になることもあります。
このような事態は日本ではほとんど起こりませんが、台湾では珍しくありません。
しかし、重要なのは「なぜそんなことが起こるのか」ではなく、「その状況でどう信頼を維持するか」です。
風水トラブルの裏には、台湾の文化・信仰・心理が複雑に絡んでおり、それを理解した上で冷静に対応することが、現場での成功を左右します。
本章では、実際の現場で起こる典型的な風水トラブルのパターンを紹介しながら、日本人設計者がどのように対処すべきかを解説します。
1. 着工前夜の“方位変更”──現場が止まる瞬間
最も多いトラブルのひとつが、「着工直前の方位変更」です。
ある日系企業が台中で出店した際の事例では、すべての図面が承認され、資材搬入も完了していたにもかかわらず、着工前夜にオーナーから「老師が見て入口の向きが悪いと言っている」と連絡が入りました。
理由は「店舗の入口が向かいの建物の角を正面にしており、“煞気(シャーキー)”が当たっている」というものでした。
結果として、入口の向きを30度ずらすため、壁の位置や照明配線をすべてやり直すことになりました。
日本の感覚では考えられない話ですが、台湾ではオーナーが風水を信じる限り、それが最優先事項となります。
こうした状況では、設計者や施工者が怒っても意味がありません。
重要なのは、「原因を理解し、変更による影響を迅速に整理して提案する」ことです。
「この変更によって工期が2日延びますが、開店には間に合うよう夜間作業で調整します」といった前向きな姿勢を見せることで、オーナーの不安を解消し、信頼を維持できます。
つまり、風水トラブルとは、誠実な対応力が試される瞬間でもあるのです。
2. 施工中に突然入る「神明桌をここに動かしたい」指示
台湾の店舗では、店内に「神明桌(シェンミンヅオ)」という神棚を設けるケースが多くあります。
これは商売の守護神を祀る祭壇で、開店時にはここで「開光」という儀式を行います。
しかし、工事が進む中でオーナーが突然「老師が言うには、神明桌の位置を入口近くに移すべきだ」と指示してくることがあります。
この場合、問題となるのは電源・照明・壁補強の再設計です。
すでにボードを貼り終えていたり、電気配線を仕上げていた場合には、大きな手戻り工事となります。
ただ、オーナーにとっては「神明桌の位置を正す=店の運命を正す」ことに等しいため、
理屈ではなく信仰の問題として最優先されます。
ここで日本人設計者がやってはいけないのは、「今さら変更はできません」と拒否すること。
それは、オーナーにとって「信仰を否定された」と受け止められます。
代わりに、「位置を変更する場合の構造補強と照明調整をご提案します」と前向きに返す。
そのうえで、「先生の意見を取り入れながら、美観を損なわないように工夫します」と付け加えれば、相手の信頼をさらに高めることができます。
台湾では、このような“文化的共感力”が設計者に強く求められます。
3. 風水師とオーナーの意見が食い違うとき、どう対応する?
時に、風水師とオーナー自身の意見が食い違うことがあります。
風水師は方位と理論から判断し、オーナーは自分の感覚や動線の便利さから意見を言う。
その結果、「老師は北向きが良いと言っているけれど、自分は南向きにしたい」と議論が平行線になるのです。
このとき設計者がどちらの味方につくかは非常にデリケートです。
オーナーに迎合しすぎると風水師の怒りを買い、風水師を立てすぎるとオーナーから「柔軟性がない」と見なされることもあります。
最も良い対応は、両者の意見を“翻訳”する立場に立つことです。
「老師のご意見は理論的には正しいですが、実際の動線も考慮してこのように調整できます」と、双方の意図を尊重しながら折衷案を出すのです。
このとき、設計者が冷静かつ丁寧な言葉で対話を進めることで、“調整役”として信頼を得ることができます。
台湾の現場では、設計者は単なる技術者ではなく、文化の通訳者であるべきなのです。
4. 日本人デザイナーがやりがちな“無意識の否定”とは
台湾の現場でしばしば見られるのが、日本人デザイナーが意図せず風水を「否定」してしまうケースです。
たとえば、オーナーが「この位置は風水的に良くない」と言ったときに、「でも動線的には問題ありませんよ」「科学的根拠はないですよね」と即答してしまう。
これは、無意識のうちに相手の文化的価値観を否定する発言として受け取られます。
台湾の人々にとって風水は“信仰”というより“生活の知恵”です。
そこには理屈よりも「気分の安心」が重要視されます。
したがって、設計者がまず示すべきは「理解」や「共感」であり、最初に“正しさ”で論じてしまうと、たとえ設計が完璧でも信頼は得られません。
良い対応は、「そうですね、確かにここは気の流れが強いかもしれませんね。少し角度を変えてみましょうか?」と、相手の言葉を受け止めつつ、プロとしての提案を加えることです。
このように、文化的感性を備えた柔らかなコミュニケーションが、台湾での成功を左右します。
5. 台湾現場で信頼を失わないための会話テクニック
台湾の設計現場で信頼を保つには、言葉選びが非常に重要です。
特に風水に関わる話題では、「正しい/間違っている」ではなく、「調整できる/改善できる」という表現を使うのが効果的です。
たとえば、
- 「この位置は風水的に悪い」
→「この位置はもう少し明るくすると、気の流れが良くなりますね」 - 「入口を変えるのは無理です」
→「入口の印象を変える方法を一緒に考えましょう」
このように言い換えるだけで、オーナーは“否定された”とは感じず、むしろ“理解してくれた”と受け取ります。
また、風水師との打ち合わせでは、敬意を示す姿勢が何より大切です。
台湾では老師は社会的に尊敬される存在であり、
「先生のお考えを踏まえた上で、美しく仕上げたいと思います」と一言添えるだけで、その場の空気が和らぎ、協力的な関係を築くことができます。
つまり、台湾で設計者が身につけるべき最大のスキルは、技術力よりも“文化的対話力”。
風水をめぐるトラブルを乗り越えるたびに、その現場には必ず信頼が芽生えます。
第5章 「風水」をデザインに取り入れるという発想──共創のための設計思考
台湾の設計現場で風水に直面すると、多くの日本人デザイナーは「制約」として捉えてしまいがちです。
しかし、実際には風水は文化と空間をつなぐ設計の言語であり、それを理解してデザインに取り入れることができれば、現地の人々に心から受け入れられる空間をつくることができます。
台湾のオーナーにとって、風水は“信じるもの”ではなく“安心して働ける環境の条件”です。
その価値観を設計の一部として受け止め、美学と信仰を融合させることが、真の共創につながります。
1. 風水を“ローカルデザインの言語”として捉える
まず大切なのは、風水を「特殊な宗教的要素」としてではなく、地域固有のデザイン言語として理解することです。
たとえば、日本で“和”を感じさせるデザインに畳や障子が欠かせないように、台湾では“信頼される店”の象徴として、風水的調和が自然に求められます。
つまり、風水とは空間の印象を決める文化的文法のようなものです。
それを無視すると、デザインの完成度が高くても「なんとなく落ち着かない」「気が合わない」と感じられてしまう。
逆に、入口の向きや照明の配置などにさりげなく風水的配慮があると、「この設計者は文化を理解してくれている」と受け止められ、信頼が深まります。
日本人設計者が台湾で評価されるポイントは、技術よりもまず“文化的リテラシー”。
風水をローカルデザインの文法として扱うことで、現地パートナーとの共通言語が生まれます。
2. 台湾の設計会社が喜ぶ「風水を尊重する設計提案」とは
台湾の設計会社やオーナーは、「風水を理解し、尊重してくれる設計者」に対して非常に好意的です。
それは、風水が単なる信仰ではなく、クライアントの心の支えであることを理解しているからです。
たとえば、店舗の入口方位を議論する際、「風水的に入口を東南向きに設定してみましょうか?」と一言添えるだけで、打ち合わせの空気が変わります。
あるいは、「このレジの位置は“財位”にあたりますので、木の素材を使って気を安定させましょう」と提案することで、デザインの説得力が増すだけでなく、オーナーの信頼も高まります。
また、風水を取り入れることで、現地の施工チームも協力的になります。
彼らは文化的な背景を共有しているため、「このデザインは理解がある」と感じると、小さな現場判断にも積極的に協力してくれます。
つまり、風水を設計提案に組み込むことは、文化的共感を獲得する最短ルートなのです。
3. 日本式デザイン哲学を風水と調和させるコツ
日本のデザインは、「引き算の美学」や「無駄のない機能性」を重視します。
一方、台湾の風水は「五行の調和」や「象徴のバランス」を重んじます。
一見すると、この二つは相反する考え方のように思えますが、実はその根底には共通する価値観 ── “自然との調和”があります。
たとえば、風水が重視する「気の流れ」は、日本の茶室設計における「間(ま)」の感覚と通じています。
また、風水が忌避する“陰の滞り”は、日本建築で言う「風通しの美」と一致します。
つまり、両者は異なる言語を使って同じ自然哲学を語っているのです。
この共通点を理解すれば、風水をデザインに取り入れることは決して妥協ではありません。
むしろ、日本的美意識の中に風水を溶け込ませることで、新しいアジアンモダンの表現が生まれます。
「東洋的調和」をキーワードに、文化と文化を架け橋するデザインこそ、これからの台湾市場で求められる方向性です。
4. 「運気が上がる店」を科学的に見せるプレゼン手法
風水を尊重する一方で、設計者としては「デザインとしてどう説明するか」も重要です。
オーナーに「風水だから」と言うだけでは説得力が弱い場合、デザイン理論や心理学的効果と結びつけて説明すると、理解が格段に深まります。
たとえば、入口の明るさを上げる提案をするとき、「風水的には“陽の気”を呼び込む位置です。
心理的にも明るい入口は来客数を増やします。」と補足すれば、文化と科学の両面から納得を得ることができます。
また、「財位に観葉植物を置く」提案も、風水的には“気の循環”、デザイン的には“視線誘導と安定感”として説明可能です。
つまり、風水をビジュアルと機能の両面で裏付けることで、オーナーは「縁起も良く、理論的にも優れている」と感じ、設計者への信頼が一層深まります。
台湾で成功するプレゼンは、「信仰」だけでなく「理論」として風水を語れるデザイナーが行うものです。
5. 風水をきっかけに信頼が深まった成功事例
最後に、風水を“きっかけ”として信頼関係を築いた事例を紹介しましょう。
ある日本ブランドのカフェが、台南に初出店する際のこと。
設計チームは当初、日本式のシンプルモダンなレイアウトを提案しましたが、オーナーから「入口の向きが不安」と指摘を受けました。
チームはすぐに風水師の意見を聞き、入口を15度だけずらすことを決定。
さらに、風水的に財を集める「左奥」にレジを配置し、カウンター背面に木製パネルを設置しました。
結果として、デザインの印象はほとんど変わらず、施工コストもわずかな増額で済みました。
しかし、オープン後には「先生の意見を大切にしてくれた」として口コミが広がり、地元の顧客や近隣オーナーからの紹介が続出。
この経験を通じて、チームは「風水は調整ではなく、信頼を得るための扉」だと実感したのです。
日本的な合理性に台湾の文化的情緒を重ねることで、単なる“海外出店”ではなく、“地域と共に成長する空間づくり”が実現できます。
そしてそれこそが、日本企業が台湾で長く愛されるデザイン戦略の核心なのです。
まとめ|「風水」を理解することは、台湾と信頼でつながる第一歩
台湾で店舗を設計・施工する際に「風水」は避けて通れないテーマです。
それは単なる縁起や迷信ではなく、空間を整え、人の心を落ち着かせる“文化的設計基準”です。
日本では設計を“科学と美の融合”と捉えることが多い一方、台湾ではそれに“信仰と調和”が加わります。
つまり、風水を理解するということは、単に図面を正しく描くことではなく、現地の人々の「安心」を設計することにほかなりません。
台湾の風水文化は「設計の出発点」
第1章で述べたように、台湾では店舗出店の最初の段階から風水師が関与します。
入口の方角、レジの位置、トイレの配置 ── これらはすべて、「良い気を取り込み、悪い気を避ける」という発想に基づいて決められます。
それは経営者の精神的な支えであり、「風水を無視する=成功を遠ざける」という信念が社会に深く根付いています。
したがって、日本人設計者がこの文化を理解しないまま進めると、どんなに美しいデザインでも「心に響かない店」になってしまうのです。
配置・色・光──すべてに流れる「気」のデザイン
第2章・第3章で見たように、風水は空間のあらゆる要素に影響します。
入口の方角は売上の流れを決め、カウンターの位置は金運の象徴となり、照明や色彩、素材の選定にも「五行思想」が息づいています。
日本人デザイナーがこの発想を理解しておくと、現場での打ち合わせがスムーズになります。
「この配色は財運を高めます」「ここに光を当てると気の流れが良くなります」
── そんな一言が、オーナーの安心と信頼を生み出します。
風水を軽んじるのではなく、美しく翻訳する力が台湾での成功を決めるのです。
風水トラブルは「文化のすれ違い」から生まれる
第4章では、風水をめぐる現場の混乱を紹介しました。
- 「着工直前の方位変更」
- 「神明桌の移動」
- 「老師との意見対立」
これらは日本人にとっては非合理的に見えますが、台湾では自然な出来事です。
重要なのは、「正しいか間違っているか」ではなく、「どう尊重して対応するか」です。
文化を否定する言葉は、図面以上に人の心を壊します。
逆に、「先生のご意見を踏まえて調整します」と言える設計者は、信頼を築き、次の案件へとつながる。
台湾では、図面の正確さよりも、文化的共感力の高さがプロフェッショナルの証なのです。
「風水をデザインに活かす」という発想へ
第5章で述べたように、風水をデザインに積極的に取り入れることで、日本的な合理性と台湾的な調和を両立させることが可能になります。
入口を少しずらす、光の角度を変える、素材を温かみのあるトーンにする ── たったそれだけで、空間の印象が変わり、現地の人々の心に寄り添える空間が生まれます。
さらに、風水を科学的根拠や心理的効果と結びつけて説明することで、「文化を尊重しながら理論的に考えるデザイナー」として高い評価を得られます。
そして何より、風水をきっかけにオーナーと語り合うことで、「信頼」「尊敬」「安心」という、台湾ビジネスで最も大切な要素が育まれるのです。
日本企業が台湾で成功するために──文化理解のデザイン経営
台湾での出店を成功させるには、優れたデザインやコスト管理だけでは足りません。
必要なのは、文化を理解し、それを経営に生かす姿勢です。
風水を学ぶことは、単なる建築的対応ではなく、現地の人々の「ものの見方」を共有する行為です。
風水を通して、台湾人オーナーの心に寄り添い、共に空間をつくり上げるプロセスそのものが、信頼関係の礎となります。
そこに「日本品質」が融合すれば、台湾市場に新しい価値が生まれます。
それは、“文化を超えて共鳴するデザイン” ── すなわち、真の意味での国際的な空間づくりの形です。
結びに
風水を理解するということは、台湾の空気を理解すること。
それは設計の細部を整えるだけでなく、人の心を整えるデザイン行為です。
日本のデザイナーや企業がこの視点を持てば、台湾の設計会社や施工会社との協働は、より豊かで実りあるものになるでしょう。
「風水」をきっかけに、図面の向こう側 ── 文化と人との信頼関係をデザインする力を育てること。
それこそが、日本企業が台湾で成功を掴むための、最も確かな設計図なのです。


